【文豪が愛した街】荻窪の歴史と文化を巡る旅ー与謝野晶子・井伏鱒二の足跡
こんにちは!
杉並区の荻窪は、都心への良好なアクセスと、歴史に裏打ちされた文化的な雰囲気を兼ね備えた街です。
かつては別荘地として知られ、「西の鎌倉、東の荻窪」と称されました。
ここでは、荻窪が持つ独自の魅力について解説します。

■ 文人が愛した「本の街」としての歴史
荻窪が多くの文人に選ばれたのは、その豊かな自然と都心へのアクセスの良さにありました。
関東大震災後、都心から郊外へと移り住む文化人が増える中、荻窪は武蔵野の面影を残す緑豊かな環境が魅力でした。
荻窪には、与謝野晶子や井伏鱒二など、多くの文人が住んでいました。
現在も、編集者や作家、イラストレーターといった文化人が多く暮らしていると言われています。
こうした背景から、荻窪は「本の街」としても知られており、良書を多数揃えた質の高い古書店が数多く存在します。
個性的な品揃えで評判の店も多く、希少な本が見つかる可能性もあります。
- 与謝野晶子夫妻の「遙青書屋」
歌人の与謝野鉄幹・晶子夫妻は、晩年を荻窪で過ごしました。
夫妻が自ら設計した邸宅は「遙青書屋」と名付けられ、2階からは富士山や秩父連山が遠望できたそうです。
晶子はここで『源氏物語』の現代語訳を完成させました。夫妻の旧居跡は、今も「与謝野公園」として、当時の面影を静かに伝えています。
- 井伏鱒二と「阿佐ヶ谷会」
作家の井伏鱒二は、1927年から晩年まで荻窪に住み続け、この地の風土や人々の暮らしを『荻窪風土記』に記しました。
井伏を慕って荻窪に移り住んだ太宰治も、この地で結婚式を挙げるなど、二人の交流は深かったようです。
また、井伏は阿佐ヶ谷周辺に住む文士たちを集め、「阿佐ヶ谷将棋会」という文人会を発足させ、文学談義に花を咲かせました。
■ 文学の香りが残る街並みと公園
荻窪の街を歩くと、多くの文化人が愛した歴史の余韻が感じられます。
荻窪の文学的な背景を象徴する場所の一つが、与謝野公園です。
この公園は、「荻外荘通り」を進んだ、与謝野寛(鉄幹)・晶子の旧居跡に整備されました。
園内には木々と緑、そしてベンチがあり、素朴で落ち着いた雰囲気が特徴です。
広すぎない空間は、小さなお子さん連れの家族が安心してくつろげる場所となっています。
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